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由 緒
 創建の年代は未詳ですが、極めて古く西暦以前にさかのぼるともいわれています。
御津の地は古代穂国の外港であり、三河国府と大和・伊勢の中央とを結ぶ海上交通の要衝として栄えていました。その地名より御津神社と呼称され、古来多くの人々の篤い崇敬を受けてきました。
「日本総国風土記」には天武天皇4年(676)に圭田五六束を奉るなどと記されています。
「文徳実録」に仁寿元年(851)​従五位下が授けられたとあります。
「延喜式」(延長5年(927)完成)の宝飯郡六座に列する式内社です。

中世から近世にかけて、三河国守護一色・細川両氏や土豪波多野・牧野両家の尊崇が特に深く、その保護にあずかりました。
「参河国内神明名帳」(慶安2年(1649)転写本)に正三位御津大明神と見られ、神位は大きく昇格したことが知られます。
「往古御津七郷と称へ氏子一二ケ村の総産土神なり。」として広い地域の人々に仰がれました。
​明治5年(1872)郷社に列格し、明治15年(1882)県社に昇格しました。

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